特集

「挑戦こそが櫻井家の伝統」を象徴するお雛様

まだお雛様を作っている工人が誰もいない70年ほど前に、
先代の櫻井昭二が生み出した桜井こけし店の「ひいな」。
「伝統こけし」という、先代たちが作り上げてきたこけしを受け継ぎながらも、
様々なデザインのお雛様を作り発展させてきました。
昭二の「ひいな」は、現代の工人 昭寛・尚道へと受け継がれ、
それぞれの感性により現在も発展を続けています。

昭二の創作こけしへの挑戦

第二次こけしブームの前の昭和20~30年代、昭二は意欲的に創作こけしの製作に取り組んでいました。ちょうどその頃に生まれたのが、こけしのお雛様「ひいな」です。昭二が初めて作った「ひいな」は一対のこけしでした。この「ひいな」は「民芸手帖」昭和40年3号の表紙にも使われました。初期のひいなは、鳴子のこけしらしい形をしています。昭二はこの最初の「ひいな」を作ったあと、お雛様の原型である立雛をベースにしたT字型の『立雛 組木』や、ねまりこをベースにした『座雛 黄胴』など、次々と新しいデザインを生み出し、自ら発展させていきました。

 

 

現工人の昭寛と尚道が受け継ぐ、「ひいな」への挑戦

四代目昭二が作り上げた「ひいな」は、現工人の五代目昭寛と六代目尚道によって、さらなる発展を続けています。昭寛は父昭二の「ひいな」を受け継ぎながらも、自分にしか生み出せない「ひいな」を求めて製作を続けています。新たな形、表現したい「ひいな」に合う染料を求め、試作を幾度も繰りかえし、何年もかけて完成したのが「華雅」です。男らしさ凛々しさを感じる男雛に、帯を巻いた着物がたおやかな女雛。肩に入れたビリガンナや繊細で華やかな着物の描彩。今では昭寛を代表する「ひいな」となっています。

 

尚道の「ひいな」は、柔らかい色合い、シンプルな形と描彩が特徴です。櫻井家の伝統や先代たちの想いを常に深く探求し、尚道自身の感性を通して表現した「澪」「花雫」などの「ひいな」を生み出しています。描き込みすぎない表情と、繊細で上品な描彩。愛らしさが溢れる佇まいは、現代の暮らしに合うと幅広い世代に好評を得ています。

 

 

受け継がれる岩蔵の精神

お雛様をはじめ創作こけしへ取り組んだ昭二のものづくりの根底には、昭二の師であり、櫻井家先代のひとり「大沼岩蔵」の存在が大きく影響しています。岩蔵はビリガンナという技術や、それまで使われていなかった紫をこけしに取り入れるなど好奇心、探究心、が強く柔軟な思考でものづくりに向き合う工人でした。新しいものを取り入れる岩蔵の挑戦する姿勢は、後世へ影響を与え、櫻井家のものづくりに対する精神の礎を築きました。現工人の昭寛と尚道の二人が最も尊敬している工人「大沼岩蔵」。その岩蔵の精神で「ひいな」を生み出した昭二。現在では桃の節句が近くなると、多くのこけし工人がお雛様をつくるようになり、広く浸透しました。昭寛は「挑戦は櫻井家の伝統」と語り、岩蔵の精神を受け継ぎながら、こけしのお雛様を広げた昭二のように、後世まで残るものづくりに挑み続けています。

今の「ひいな」とこれからの「ひいな」

昭二から「ひいな」を受け継いだ、昭寛と尚道がこれまでに作った「ひいな」は、試作も含めると1,000種類を超えます。新しいものを作り出すだけでなく、お客様の要望をもとに新たに「道具セット」を製作したり、より美しい佇まいを求め、台座の素材を桐に変更したり、既存の「ひいな」も、さらに良くなる方法がないか常に模索しています。岩蔵の精神を受け継ぎながら、今もなお発展を続ける桜井こけし店の「ひいな」。今年は120種類ほどの「ひいな」の販売を予定しております。販売の準備が整ったものから順次SNSなどでご案内いたします。「ひいな」を通して、これまでの伝統をこれからに繋げる、今の櫻井家のものづくりを感じてください。