コラム

桜井こけし店の「ひいな」のはじまり

桜井こけし店のお雛さま「ひいな」。
桜井こけし店の先代、櫻井昭二が考案し、受け継がれてきました。
木の温もりを感じる、穏やかで、優しい眼差しのおひなさまです。

今回は、ひいなのはじまりについて、お話したいと思います。

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先代、櫻井昭二が考案したこけしのおひなさま。

櫻井家のひいなの歴史は、四代目櫻井昭二が作ったお雛さまからはじまります。

昭和20年代、昭二が意欲を出して創作こけしを製作していた時代に、
鳴子こけしの形を元にした、お雛様のような一対のこけしを初めて作りました。

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昭二は、このお雛様の考案を、当時こけし通りに住んでいた大沼紋哉先生という方に伝えたそうです。

紋哉先生に、名前は何が良いだろうかと相談したところ、

「お雛様」の語源は、貴族の子供たちの間で流行っていた
男女一対の人形で遊ぶ「ひいな遊び」からきている。
対になっているこのこけしも『ひいな』という名が良いのでは。

と提案があり、

この一対のこけしは『ひいな』と名づけられました。
(この紋哉先生、「こけし通り」の名付け親でもあります。)

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この「ひいな」という名称をブランド名として呼ぶようになったのは2017年頃のこと。
それまでは、最初に作ったこけしのような一対のお雛様のことを「ひいな」と呼んでいましたが、桜井こけし店のお雛さますべてを『ひいな』と呼ぶことにしました。

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昭二は、「伝統こけし」という、先代達が作り上げてきたこけしを受け継ぎ、製作する一方で、様々な型や描彩のお雛様を作り、桜井こけし店におけるお雛様の基礎をつくりあげました。

こうして生み出された昭二の「ひいな」は、五代目昭寛へと受け継がれました。
こけし作りの技術をふんだんに用いて、ろくろで挽くことで作り出せる新しい形や手法を試し、昭寛ならではの華やかな描彩のお雛様を生み出すことに力を注ぎました。

昭二がつくる「ひいな」は、先代から受け継がれたこけしらしさ、
昭二が生きた時代や風土が映し出される作品でした。
その「ひいな」を昭寛は、自身の個性やこけしの解釈を織り交ぜさらに発展させ、
桜井こけし店のお雛様を確固たるものとしました。

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現在は、昭寛と六代目尚道の二人の感性により、さらに発展を続けています。

昭二も昭寛も作風の根底にあるものは、先代のひとり、大沼岩蔵から受け継がれたものづくりへの姿勢とこけしへの想い。
それが、ひいなの発展にも繋がっています。

いまもなお発展を続ける「ひいな」。
来年はまた違う「ひいな」が生み出されていることでしょう。
ぜひ今だけの「ひいな」をお求めいただけたら幸いです。

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