ゆかりの人を訪ねて
【桜井こけし ゆかりの人】 橋本正明さん
シリーズ「桜井こけし ゆかりの人を 訪ねて」
思い入れのあるこけしや、櫻井家への想いなどお話を伺いました。
(1947年東京都生まれ こけし蒐集家/こけしの百科事典サイト「Kokeshi Wiki」創設者)
――まず、鳴子のこけしとの出会いについてお聞かせください。
子供の頃から、父親が東北に行った時に買ってきたこけしがうちに十数本あって、こけし関係の本も何冊かありました。それを読んで東北にいろいろ産地があることなどを知るうちに、自分でも行ってみたいと思うようになり、高校生の頃から夏休みや春休みの度にいろいろな産地を訪れました。最初に行ったのは秋田県の木地山で、その頃まだご存命だった小椋久太郎さんにこけしをつくってもらいました。
鳴子に最初に行ったのは高校2年生の時です。一人旅で若かったので、工人の方々が「泊まって行けよ」と言ってくださったり、とても可愛がっていただきました。
ある時、櫻井昭二さんから「これから河原に行ってそこで原木を分けるから、お前も来い」って言われて、昭二さんの車の助手席に乗せてもらって一緒に河原に行ったこともあります。ものすごい量の原木が積まれていて、作業が終わると焚き火の周りにみんなが集まって、持ってきた食べ物を一緒に食べたり、とても心温まる時間を過ごしました。
鳴子ホテルでの工人さんたちの寄り合いに呼ばれて行った時は、ちょうどテレビでアポロ11号の月面着陸を放映していました。みんなで大騒ぎしながら、白黒の小さなテレビでアームストロングが月面に降りた瞬間を工人さんたちと見たことも、忘れられない思い出です。
――後にこけしの百科事典サイト「Kokeshi Wiki」を制作されるなど、こけしの研究を深く進められるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
私は学生の頃から東北を巡った旅のことなどを『こけし手帖』(東京こけし友の会発行の情報誌)に書かせていただいて、それがきっかけで鹿間時夫先生(古生物学者でこけし研究家)がつくっていた『こけし辞典』(1971年・東京堂出版)の制作の手伝いをするようになりました。当時、まわりの皆さんは社会人で、私は学生で時間もあったからです。それで夏休みなどの期間にいろいろと調査をしてまわりました。
実はそれまでの本は、主に個人による聞き書きが多くて、文献によって矛盾する点もいっぱいあったんですね。それで工人さんの生年とか亡くなった年なども含めて、正確な資料にあたって改めて調べ上げていくという作業をしました。さまざまな産地を巡る中で、それまで不明だったことで新たにわかったことも多くありました。
――産地としての鳴子にはどういう魅力を感じましたか?
学生の頃はユースホステルに泊まって、お風呂は滝の湯(公衆浴場)にも行きました。工人さんたちと一緒に入ったことも何回かあります。鳴子は温泉街とこけしの工房が直結していて、雰囲気が非常にいいんです。こけしそのものだけじゃなく、周囲にも楽しみがあって、工人さんに引っ張られていろんなところ行くのが自分にとっての鳴子の楽しみでもありました。また、温泉街ということもあると思いますが、他の産地に比べると圧倒的に工人の数も多かったと思います。
――鳴子のこけしについてはどういう印象を持ちましたか?
鳴子は戦前の岩蔵さんだとか、その親の世代の人たちのこけしが素晴らしいのはもちろんですが、戦後もそのクオリティをよく保っていたと思います。
僕が鳴子に行き始めた当時は、若手五人衆(遊佐福寿、岡崎斉司、櫻井昭二、高橋正吾、大沼秀雄)が伝統を崩さず、しかもそれぞれに特徴がある質の高いこけしをつくっていました。昭二さんは戦後の新しい岩蔵型を完成させた人でもありますね。
五人衆がみんなで酒を飲んでワアワアやってるのは、近くで話を聞いてるだけでとても面白かったです。昭二さんはその中の最年長ではなかったけど、活動する時の中心人物でした。性格が明るく積極的に人前にも出るし、訪ねればすごく喜んでくれた。鳴子の工人さんはみんなそうだったけど、昭二さんは特にオープンでした。
もう一人、私が鳴子に行くと必ず顔を出していたのは、大沼君子さんのところ。坂道の途中にある小さい家にびっしりこけしが置いてあって、いろんな人のこけしを何本か分けていただいたり、鳴子の古い話などもよく聞かせていただきました。
――櫻井昭寛のこけしについてはどう思いますか?
昭寛さんは僕と年齢も近いんですが、若い頃から奥ゆかしくて、同時にしっかりとした安定感もある。それがこけしにも現れています。あんまり自分は出さない方ですね。すごくいいものをつくっても、自分からそれを主張する感じじゃない。でも、昭寛さんのこけしは本当にいい。岩蔵型のこけしなんかは、もうどこといって欠点はない完成形に近くて、岩蔵さんや昭二さんの流れを着実に受け継いでいるのは確かです。
もっと自分を出してもいいのかもと思う反面、出さないからいいのかもしれない、とも思います。昭寛さんのこけしは、こけしの中に自分がスッと入っていけるような感じなんです。昭二さんのこけしっていうのは、「これでどうだ!」って、こけしの方からこっちに向かってくる感じなんですよね。この昭二さん的なものを感じるのはむしろ息子の尚道さんのこけしで、尚道さんの方が自分を出している感じがします。不思議ですね。
――その櫻井尚道に今後期待することは?
今はまだ若いから、仮に批判などがあったとしても、いろいろやってみたらいいんじゃないですか。技術はしっかりしているし、良し悪しもちゃんとわかっている。良いと思うところを突き詰めていくと、それがすごく成功する時と、そこまでやるのか?と思われることもあるかもしれません。でも、安定するのはもっと歳を取ってからでもいいこと。今やれることをやって、帰る場所だけをきっちり押さえておけば、いつかは自分の境地みたいなところに安定して座れるようになると思います。
――では最後に「桜井こけし」の特徴を一言で表現すると?
生地が白くて美しい。櫻井さんのこけしは、こけしの中の御所人形みたいな感じです。なんとなく品がある、色白のお公家さんのような顔。いわゆる子供たちが持って遊ぶものっていうのとはちょっと違う。何年経っても真っ白で、木地も随分吟味しているんだと思います。
でも岩蔵さんや万之丞さんは違う。御所人形っぽい、いわゆる上手物という感じがするようになったのは昭二さんから。白い無垢の御所人形、そういう感覚のこけしは昭二さんから始まっていると思います。
(談:2024年2月)
Text by Miho Sauser
橋本正明さんお気に入りの「桜井こけし」
左より櫻井昭寛作 万之丞型/ 17.8cm、櫻井昭二作 岩蔵型/30.0cm、櫻井昭寛作 永吉型/28.0㎝
左より櫻井尚道作 古岩蔵型/15.0cm、健三郎型21.0cm