コラム

人材が揃っていた昭和23年頃

この第四十回開催記念誌を読めば読むほど、
「こけし祭り」を始めた頃の、工人さんたちや町の人々の勢いに驚かされます。

今回は、何度かこのマガジンの中にも登場している、
「こけし祭り」を中心となって盛り上げた人たちに
思いを馳せていきたいと思います。

戦後、若い工人が高橋武男さん(こけし工人)のところに
自分の作品を持って集まって互いに批評し合う会があったんですよ。
第一回の「こけし祭り」で動いたのは、このメンバーでした。
第一回「こけし祭り」が実現できたのは、この時期優れた人材が鳴子にそろっていたからだと思います。 (こけし工人・岡崎斉司さんのお話より)

戦後の大変な時代に、
こけしを批評し合う会があったことにまず驚きますし、
こけし作りへの熱意が感じられます。

そして、この工人さんたちと共に、祭りを中心となって盛り上げた人たちには、
旅館の主人たちもいました。

観光協会長だった熊谷彦治さんは町長さんを努めた方だったし、
まとめ役の高橋武男さん、アイデアマンの湯泉楼の高橋一さん、そして高橋正夫さん(鳴子ホテル会長)もいらっしゃいました。 (岡崎斉司さんのお話より)

この時代に新たな試みをするということは、大変なことだったに違いありません。

そんな中でも、町の人たちがついてきたということは、
この中心となったメンバーが、たくさんの人から信頼され、
人が自然と集まってくるような人柄だったことが伝わってきます。

「こけし祭り」は、こけしの工人さんや旅館の主人たちが中心となって
盛り上げてた様子に、町に住む地元の人々が作り上げてきたお祭りなのだと
改めて感じました。

(文 : 児玉紗也加)